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はじめまして。NANAOBAGの平賀菜々緒と申します。
年齢は45歳です。
この仕事は21歳ぐらいの時から始めましした。もうかれこれ24年目ぐらいでしょうか。
きっかけは、親です。親が革鞄を作って売っていました。私が生まれた頃からですかね。
あとはレザークラフトの先生をしていました。
私はそれまで違う仕事をしていました。
結構がむしゃらに頑張ってはいましたが、
肉体的体力的、精神面もかなり追い詰められ、
毎日毎日怒られ怒鳴られ、もう怒られなれすぎて
あー怒られるなーと思ったら頭を差し出してゲンコツをしやすくして
差し上げてました笑(これが平成w)
それぐらい毎日怒られていましたね。
これを当時は「現場叩き上げ」などという言葉で美化されていました。
いい加減身体を壊し逃げるように職場から離脱。
ドロップアウトです。
で、アパレルの販売だとか他に何か仕事に付きますが、まぁどれも飽きてしまう。
作る仕事がやりたかった。作る仕事意外は飽きてしまう。
作る仕事は終わりが無いから好きだ。
それで当時母の鞄工房が日吉にあったので
母に私を雇うように頼んでみたところ、
「お前を養う余裕なんて無い。場所は貸してやるから自分で稼いでみろ」
と、まーなんというお優しい仏のような方なのでしょう。
私は孫悟空のごとく頑張る決心をしたのです。
まずは材料を仕入れなければいけません。
最初の軍資金は3万程度。貯金もない、お金は全て服に使う21歳ですから。
一緒に浅草の問屋街に連れて行ってもらい、革を買いました。
それから工房で鞄の作り方を学び(学んだところで、すったもんだしか仕上がらない笑)
今度はそれを売らないとお金にならないわけですから、
私は売り場を日吉の駅前でやっているコンコース販売から始めます。
それがすったもんだなわりには結構売れましたね。笑
今思うと恥ずかしい作品ですが一生懸命さが伝わったのかも知れません。
もちろん、母にも利益を出さなければ工房から追い出されてしまうので
母にも利益が発生し、自分も食える道をギブアンドテイクしていく必要があります。
親だからってなんでもしてくれる訳ではありません。
主に東横線沿線での仕事が多く、
だんだん地方や神戸大阪、仙台など色々なところからオファーが来るようになりました。
20代のおねーちゃんが作る革製品 当時は結構珍しかったのでしょう。
私は結構コンコースを仕切ってる社長に気に入られ売る場所を色々と広げていきます。
2年目ぐらいで渋谷の今は無き、東急プラザでは(この前渋谷に行ったら無くてびっくりしたわ笑)
1週間で300万売るという結果を出したのであった。(もちろん一人では無く、4人ぐらい女の子が居た)
もう寝る=体力を回復させる ぐらいのストイックさで猛進していました。
この時はまだ「NANAOBAG」は無い。
母の工房名で活動していたからだ。
この時、母のアトリエは日吉から世田谷自由が丘に移動していました。
あることをきっかけに私は母の元を去るのですが、
(当時私も自由が丘の中古マンションに住んでいました。小さなマンションです)
これもまた結構大事で、夜逃げ同然で知人が居た新潟県に移住します。
(ここはもう書ききれないほどこの時期はグチャグチャな人生になってますw)
ちなみにこの時当時の夫とも離婚してます笑
何もかも手放し新潟移住(簡単に人は手放せないんですったもんだする)
愛用していたミシンとかは泥棒のように引っ越し屋と一緒に母の工房から
早朝回収してトラックに積んで引っ越ししました。
坂上に借りた一軒家は家賃5万円庭付き。可愛いお家でした。
ランニングコストの低さが幸いです。
愛犬のチロルと二人の生活が始まります。
お隣さんは親身な老夫婦で犬を飼っていて、仲良くしてくれました。(私はその辺上手いw)
人生で一番大変な選択でしたが、のちにこれが私のターニングポイントになります。
人は完全に自立しなければ、一人では立てないのです。
自立こそ人類のテーマであるぐらいに思ってました。
今となっては自立とは経済的に自立することであり
精神的な自立は本当に必要なのか?と思ってますけど。
経済的自立は自身に自由な選択を与えてくれるので
人生を選択する権利が欲しければ自立するしか無いですよね。
もう関東の売り場は全て捨ててしまったので、
私が売れる場所はインターネットだけでした。
さあ、どうしよう。これしかない。
顧客もネットには全然居なかったのです。
たまに百貨店で購入してくれた方がネットで購入してくれてました。
ネットも母の会社のものでしたが契約したのが私だったので
社名を「Nanao Bag Works」 に変えて、
作っては売り作っては売りを頑張ることに。
途中 「NANAO BAG」に変更します。
その時から立ち上げたブログがこちらです。
アクセス数は減りましたが未だ更新中です。
当時はブログが持つ力は絶大でしたね。
鞄職人NANAOの奮闘記
しかし不思議と、作ったものは全て売れていきました。
そう有難いことに、私はいつでも売れっ子でした 爆
「なんでそんなに売れるの?」と聞かれても
「わかんない。頑張り屋さんだからじゃない?」としか答えられないぐらい理由はわかりません。
たくさんのお客様が支えてくれました。本当に感謝の気持ちしかありません。
当時私を支えてくれるのは
トイプードルとお客様だけだったので
私はお客様の期待に応えることに全身全霊を注いていました。
ここまでする??ぐらいするのが仕事だと思っていました。
この辺は現場叩き上げで育てた根性がものを言いますね。
とにかくピークは新潟4年目の冬ぐらいでしょうか。
死ぬほど働いて限界を越えるほど製作し、新潟脱出を試みました。
なんとか脱出する資金を持って、
今度は暖かくて雪が無くて海がある場所がいいと
今この三浦海岸に越して来ました。
海が目の前でめちゃくちゃのどかです。
お野菜がとにかく美味しいし、環境としては新潟とあまり変わらず
しかし都心まで電車で行けるのは最高ですね。
ローカル線に乗って、新幹線に乗って、やっと東京に着くのとはやはり違います。
20代、30代と死ぬほど頑張らないといけない時期は過ぎ、
今は40代ですけど
この頑張りがあったからこそ、今があると感謝して
新しくホームページを立ち上げました。
「NANAOBAG」の今をお届け出来たら嬉しく思います。
このホームページでは、今まで出会えなかった方々に新しく出会えるきっかけになればと思い
製作しました。
なのでこちらに新規でこられる方は、
お財布やクロコダイルというワードで来てくれていると思います。
もう一つの既存ホームページでは、ハンドメイドバッグ、オーダーバッグ、などで来られるかたが多いかと思います、
お財布、クロコダイルで検索されて来た方は
「お財布全然無いじゃん」な状態で申し訳ありません。
これから8月に向かってお財布もどんどん充実していきますので
どうか長くお付き合いくださいますと嬉しいです。
またブログやインスタに掲載されている作品をオーダー製作することも可能なので
是非ご覧くださいますようよろしくお願いします。
長くなりましたがこちらのホームページにいらしてくださいまして
ありがとうございます。
NANAOBAGとご縁がありますと嬉しいです。